Schedule / Activity
5月13日 午前 | 納骨堂合同墓建碑式(除幕式) |
5月13日 午後 | 春の永代経 |
7月末 | ラジオ体操とお経のお稽古 6:30~ |
9月17日 午後 | 秋の永代経 |
12月9日 | 報恩講 |
12月10日 | 報恩講 |
12月31日 | お鐘つき |
1月1日 9:00 | 修正会 |
Ossuary / Public Cemetery
お参りに伺う中で、お墓に対する考え方の変化や、少子化でお守りをするのが難しい、本山までは遠くて行けない等、納骨やお墓についてのお悩みをお受けするようになりました。2023年5月にそのお悩みに応える納骨堂・合同墓一体型の施設が完成いたします。ご家族、ご親族に代わり、ご遺骨を永くお預かりいたします。
浄源寺の納骨堂・合同墓は大村地区の墓地の一画にありますので、いつでもお参りいただける環境にあり、永い管理が可能です。
納骨堂と合同墓が一体となった施設です。お預かりしましたご遺骨は、納骨堂に安置されました後、一定期間お預かりしたのち、倶会一処に合葬いたします。
Funeral in main hall
この世に生を受けた私たちは一人の例外もなく死を迎えます。
別れは悲しいことですが、お浄土へ往生されるのですから残された家族は仏心の豊かな心でお見送りをしたいものです。
この旅立ちに際し、寺院葬をお勧めいたします。
浄源寺は心を込めてお見送りのお供をさせていただきます。
浄源寺で葬儀をされた場合、いただいたお布施の一部を浄源寺護寺基金に入れさせていただきます。
Dependent Co-Arising of Jogenji
1193年頃、熊谷次郎直実(法力房蓮生)が足近村(現在の岐阜県羽島市)にある住職不在の天台宗の道場に留まったのが開基と伝えられる。直実は次男の熊谷小次郎直定、法名「慶祐」を道場の住職とした。慶祐は親鸞聖人の弟子となり、聖人から御真筆をいただく。寺名は「万福寺」(現在の墨俣)とした。7代目慶空が隠居寺として新たに大額村(現在の岐阜県大垣市大村)に浄源寺を開基し、今日にいたる。1913年揖斐川大改修の際、現在の場所に移転した。
当寺開基は、源家の武士疵比等(ふひと)の旗頭熊谷次郎直実と申し候。
その所謂を尋ぬるに、壽永年中摂州一谷において源平両家の戦御座候。然る所、直実平家の大将無官大夫敦盛を害し、頻に出家発心の信心肝に銘じ、戦場より直ちに京都に詣り法然上人の御弟子となり、其名を法力房連生と改め、然して連生本国へ下向の砌、当国葉栗郡西門間之庄内足近村の道場に立ち寄り候所、此道場に寺務相続の人之無く、人々相嘆き申し候に付、連生此道場に暫く寺務致し候所、其後故郷に帰り、二男熊谷小次郎直定を連れ来り、剃髪させ、其名を慶祐と改め、此道場の住持と定め候事、当寺も往古は天台宗に之れ有り候へども、人王八拾弐代後鳥羽院御宇建久年中、親鸞聖人関東より御帰京の砌、此精舎に御立ち寄り此れ有り、慶祐と師弟の約束をなせり。
其時当寺の霊宝九高僧の古仏、並びに上宮太子の絵像二帖、親鸞聖人の御真筆、其れ従り以来数代の相続、就中慶空と云う住持安八郡二木村へ引越し、併て其時の年号は相知れ申さず候へ共、右の村より三百三拾七年以前宝徳年中に大額村へ引越し、唯今大村浄源寺
Request for support fund
2023年に浄源寺は「浄源寺護持基金」を設立いたしました。
浄源寺護持のため、有縁の皆様のご協力を賜り育ててまいりたいと願っております。
よろしくお願い申しあげます。
浄源寺護持基金は、毎年会計報告をいたします。
※令和5年度より開始いたします。(1口1万円)